自由意志を剥ぎ取られた——もっというと、機械化された——人間は、果たして人間として扱われるべきなのだろうか。
特定の入力に対してあらかじめ決められた出力しか許されない世界。教化矯正術によって、あらゆる暴力への欲求が耐え難い痛み、頭痛、吐き気、として変換されることになった主人公。さらには、彼が好んでいた行為——犯罪だけでなく、クラシック音楽を聞くことでさえ——封殺。
これは若干15歳の少年の身に起こった出来事である。窃盗、強姦、殺人など犯しても、「俺は悪くねぇ!」というスタンスのクズ野郎を改心させるためにとられた処置は、あらゆる暴力への抵抗力を奪うことになる。仲間からは裏切られ、両親から見捨てられ、彼の居場所は徐々になくなっていく。そんな環境に耐えきれなくなった主人公は自殺しようとするが、それすらも処置のせいでかなわない。
生ける屍と化した主人公を取り囲む絶望。権力を前に従順にならざるを得ない生活。しかし、本作は悲劇のままに終わらない。本作の最終章では、主人公の処置は無効化され、ふたたび暴力が常態化することになる。ただ、暴力に積極的に加担しようとしたかつてのような激しさは主人公から消え去っていた。彼は18歳を迎え、将来の自分の妻と子供との生活を夢見ていたのだ。それは主人公がオトナになったということでもあった。
本作は、少年がオトナになるまでを描いた成長物語である。独特な話し言葉である「ナッドサット(ロシア語と英語のミックス)」によって構成されていることもあり、凄惨であるはずの暴力描写はストーリー展開に必要な要素として軽やかに語られる。これはつまり、本作が単なる暴力小説でないことを意味する。ルドヴィコ療法によって主人公が暴力に対して無防備となった展開はむしろ、自由意志の重要性について再確認する場でもあろう。
選択のできない人間というものは、人間であることをやめた人だよ
人間らしく生きるとは何か。本作はそんなことを教えてくれている気がする。