若旦那の奮闘を応援せずにはいられない - 書評 - SF飯:宇宙港デルタ3の食料事情

SF飯とかそんなん気になりますやん。

​本作は、辺境の地に佇む大衆食堂<このみ屋>の娘ーこのみと、無味乾燥とした食事を「美味しいものの記憶」を頼りに改良していこうとする主人公ー若旦那たちの奮闘記です。

肝心のSF飯の内容は、

奇妙奇天烈な食べ物の数々をご堪能あれ

と、帯紙に書いてある通りの食事が多数。

具体的には、

「色合いは、うん、よかったですよ」

と、本作の主人公に言わせるほどの品々で、食材(といっても、食用藻とか粘菌とか)を食料合成機にぶち込んで調理? したもの……

そのようなThe SFチックな環境下に晒されてなお美食を求めて闊歩する姿に、胸をうつこと請負です。

1. 無料のB定食はない
2. 宇宙ステーキには紙の皿を
3. ヌカミソハザードの恐怖
4. 胃袋の握手

本作を通じて、食事は必要十分なエネルギーを補足するためだけに存在しているのではないと強く実感いたしました。 というのも、食事の合理化を進めていくのであれば、栄養や機能を優先して作られた無味乾燥としたもの(例えば、錠剤や、ペースト状の流動食)というものが主流になるはずだからです。

しかしながら本作では、食事の場——とりわけ娯楽が皆無な環境下において——で求められるのは、生き抜くためのモチベーションを向上させるために必要な「娯楽」として機能だと気付かされます。これは、現実世界において、宇宙食フリーズドライ製法や、軍隊に配布されるレーションの味が年々改良されていくことからも見てとれるでしょう。

そういった意味において、本作の主人公である若旦那が、「美味しいものの記憶」を頼りにより食事を美味しくしようとするという物語も、食事に込められた魅力を再考するためにはよくできた設定なんだなと思い知らされました。

ただ一つ気になったのは……

SF飯とタイトルにあるくらいだから飯を起点とした物語かと思いきや、どちらかというと、飯よりもそれに付随するSF要素——ベーシックインカムの走りや、生態系維持のためのソーシャルシステム——にスケールしていったところです。

宇宙空間という限られたリソースの中における飯の使い所って難しいなぁというのを思い知らされた一冊でもありました。

紡ぎだすは二面性の影 - 書評 - 空の境界

ひたすらにかっちょええのです、キャラクター像や言葉づかいが。

新伝綺の旗印として確固たる地位を築いている本作。無機、有機問わず、「活きている」ものの死の要因を読み取り、干渉可能な現象として視認する能力である「直死の魔眼」や「魔術」など、出てくる用語もさることながら、言葉遣いがやたらかっこいいのである。

奈須きのこ奈須きのこたらしめる世界観。それは伝奇ものとして屈指で、非日常的な日常を当たり前の日常として描く上で最高のフォーマットである。 その一端を垣間見るべく本作品のページを繰る。ヒトの心理の奥底に眠る一筋の陰、それを暴かんと相対すは一筋の光。陰と陽 、奇しくもメインヒロインの抱く二面性にも通ずるそれらは、宗教、哲学、自然科学、一体どれほど多くのモノに触れれば表現できるのだろうか。

めくる度に新たな色を紡ぐ言葉は、

厳かに、艶やかに、粛々と。
幾度も、幾度も、何編も。
鋭く尖った切先を、心の臓に縫い付ける。

まごうことなき、殺人現場<<リアル>>だった。

読み進めれば読み進めるほどにゆっくりと体内に侵入してくる鋭利な痛み。そのせいか、脈拍が速まり、額に汗がにじみ出る。不快感にも似たそれから逃れようと本を閉じようとする。しかし、ページをめくる手は止められない。

それはただひたすらに、このまま死んでもいいやと思えるほどに、 真っ白な刃を突き刺す犯人がかっこよかったからなのかもしれない。

働き方改革 - 書評 - 「伝える」ことと「伝わる」こと

中井久夫先生の書く日本語にはほれぼれする。いつみても感激を覚える良書。 ひとえに、中井先生の膨大な知識量と、圧倒的な洞察力から生み出されたたまものであると、尊敬の念を抱かずにはいられませんでした。

1(統合失調症患者の回復過程と社会復帰について;精神科の病いと身体―主として統合失調症について ほか)
2(精神病水準の患者治療の際にこうむること―ありうる反作用とその馴致;統合失調症者の言語―岐阜精神病院での講演 ほか)
3(関係念慮とアンテナ感覚―急性患者との対話における一種の座標変換とその意味について;禁煙の方法について―私的マニュアルより ほか)
4(私の日本語作法;翻訳に日本語らしさを出すには―私見 ほか)

昨今、「働くこと」に関する認識が大きな変遷を迎えています。「ハレ」と「ケ」という言葉があるように、元来、「働くこと」は、「ケ」に対応する地味なものと捉えられてきましたが、人工知能の発展と共に、「ハレ」の部分が押し出されるようになってきているのです。

それはつまり、人工知能の台頭によって人々の暮らしに余暇が生まれ、クリエイティブな活動——「遊び」や「休息」といった要素——が「働くこと」に内包され始めていることを意味します。

そのような現代を生きる上で重要な概念が、統合失調症の治療論を主軸として本書に詰まっています。

従来、「仕事一本槍」という人は、たしかに、「働き文化」の日本において評価されてきてきました。 しかしながら、そういった人たちがどういう結末をたどるのかといえば、必ずしも良好なものではありません。

度重なるノルマをこなしていく上でうつ病になったり、定年退職したはいいものの、仕事以外の人間関係から生み出される不安であったり……

このように数えだしたら切りがないほどの精神的不安定な状況をかんがみたとき、少しでも自分の環境をよくしたい、もっと具体的にいうならば、

新たな門出を迎え始めた「働き文化」に対し、私たちはどのようなスタンスで身を置けば良いのか?

ということを知りたい意欲的な人にとって、本書は非常に重要な論考が成されているので、一読の価値があると言えます。

本書の主題でもある、「伝える」ことと「伝わる」ことが含まれる第Ⅲ部には興味深いエッセイがまとめられています。特に、禁煙の方法について(228頁)や、専門職と熟練行動 (247頁)では、ビジネスの場にも適用されうる項目が乗っているので、参考になればと。

作業療法は、多少いやいやながらやる、ということに意味があると筆者は思う。(中略)「あまり面白くないことをやる」能力は、人間のもっとも成熟した(オトナになった)証拠とさえいって良い。逆に言えば、面白くすれば「遊び」、われわれの場合はレク療法になるのである(p. 207)

思春期を何事もなく過ごすむつかしさ - 書評 - 「思春期を考える」ことについて

中井 久夫の文体は素晴らしい。

本書は、思春期を何事もなく超えることのむつかしさ、ならびに、その時期の過ごし方を著者の臨床体験を踏まえて述べています。思春期という、言わば、踊り場のない現代社会へのレールを踏みかねない時期を生き抜く上で、 ゆとりをもつことが大事という見識は、思春期の精神失調に対する治療的側面だけにとどまらず、「働き文化」に参入する大人にも適用できるのでしょう。

著者である中井久夫先生は、統合失調症の治療法研究が専門で、風景構成法の考案や、PTSDの研究・紹介を精力的に行いました。また、詩の翻訳やエッセイでも知られます。本作もその例に漏れず、鴎外や、芥川、ボードレールといった偉人たちの言葉を存分に引用することによって、類まれなる観察眼の持ち主であるということを知れます。

とりわけ、精神科の外来診療について(うつ病を中心に) 論旨の項目が、「働き文化」への不器用な参加者にぐっとくるフレーズであったのでそちらを。

自殺念慮について(中略)「”あせり”がことばをかえてささやくもので、つり込まれない約束をして下さい」という、約束の力が自殺の実行を救うことも知られてきた。

以前の生き方に戻ろうとする人には、

「せっかく病気をしたのだから少し生き方を変えてみてもいのでは」という。「せっかく」という言葉は、病気にも長い目でみて積極的意義を認めようとするもの

早急に仕事に戻りたがる人には、

「治療という立派な仕事をしてもらっているのです。通って下さることも、薬をのんで下さることも。それに、あなたの身体は、眠っている間も治ろうとして働いていますよ」

他にも、平易な言葉で数多くの金言がちりばめられています。

ゆとりをもった生活。これがひとえに、心に平穏をもたらすスパイスなのでしょう。急がば廻れ、とは、言い得て妙です。一直線に帰路につくだけでもなく、ちょっとした脇道に足を運び、そこで起こる偶発的な体験に気づける程の余裕を持とうと思える一冊です。

哲学することの楽しさを歴史から学べる一冊 - 書評 - 哲学と宗教全史

哲学の歴史を知りたいならまずはこれって一冊。

☆はじめに──なぜ、今、哲学と宗教なのか?☆第1章──宗教が誕生するまで 
☆第2章──世界最古のゾロアスター教がその後の宗教に残したこと 
☆第3章──哲学の誕生、それは“知の爆発”から始まった 
☆第4章──ソクラテスプラトンアリストテレス☆第5章──孔子墨子ブッダマハーヴィーラ☆第6章(1)──ヘレニズム時代にギリシャの哲学や宗教はどのような変化を遂げたか     
☆第6章(2)──ヘレニズム時代に中国では諸子百家の全盛期が訪れた            
☆第6章(3)──ヘレニズム時代に旧約聖書が完成して、ユダヤ教が始まった          
☆第6章(4)──ギリシャ王仏教徒になった?ヘレニズム時代を象徴する『ミリンダ王の問い』 
☆第7章──キリスト教大乗仏教の誕生とその展開☆第8章(1)──イスラームとは? その誕生・発展・挫折の歴史              
☆第8章(2)──イスラームとは? ギリシャ哲学を継承し発展させた歴史がある         
☆第8章(3)──イスラーム神学とトマス・アクィナスキリスト教神学との関係         
☆第8章(4)──仏教と儒教の変貌      
☆第9章──ルネサンス宗教改革を経て哲学は近代の合理性の世界へ             
☆第10章──近代から現代へ。世界史の大きな転換期に登場した哲学者たち          
☆第11章──19世紀の終わり、哲学の新潮流はヘーゲルの「3人の子ども」が形成した    
☆第12章──20世紀の思想界に波紋の石を投げ込んだ5人

​著者である出口治明氏には不思議な魅力がある。著作の一つ一つがサヴァン的な熱量・濃度で描かれている一方で、偏執的なまでに特定のジャンルに固執する訳ではなく、膨大な資料に裏付けられた知識を淡々と理路整然に描き切る。それはまるで、"文系と理系の交差点に立てる人にこそ大きな価値がある"と語ったポラロイド社のエドウィン・ランドに憧れを抱いたジョブズのような文理横断型の人物でして、まさしく、彼と同じくビジネスパーソンだ。

世界初のインターネット生保であるライフネット生命のファウンダーで、立命館アジア太平洋大学(APU)の学長を務めている出口氏。同氏によれば、原初から人間が抱いている根源的な問いは、以下の二つに集約されるという。

- 世界はどうしてできたのか、また世界は何でできているのか? 

- 人間はどこからきてどこへ行くのか、何のために生きているのか?

19世紀の終わり、フランス領タヒチの画家ポール・ゴーギャンは『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』というタイトルの絵画を描いた。これに含まれている人間の素朴な問いかけは、長い時代をかけて繰り返されているのである。特に気を払うべきは、語り手は哲学と宗教が担ってきたということだ。宗教、哲学、どちらか一方が欠けてもその意義は生まれず、渾然一体となって、説明責任を果たそうと務めてきた。そう、言葉を使ってである。

誰しもモノを考えるとき、必ず頭の中で言葉をイメージしているはずだ。言葉がなければ、何も考えることはできない。思想があって、言葉があるのではない。まったくその逆で、言葉があって、思想が生まれるのである。パスカルは"人間は考える葦である"と葦と人間の差異を思考の差異と定義した。つまり、人が人として営むためには、言葉を紡がなければならず、哲学と宗教を語る上で言葉の誕生は避けては通れない極めて重要な要因であることは、想像に難くない。そういう意味で、言葉の誕生から哲学と宗教にアプローチしていくシステムは、全史と語る上で当然のように求められる訳だが、言葉が生まれたのは今から10万年ほど前の出来事である。大切なことなのでもう一度言う、今から10万年前なのである。どんだけ〜っとIKKOばりに突っ込みたくなるほどの昔なのである。ただ恐ろしいことに、言葉の誕生から20世紀に生まれた思想家にわたって書かれているのにも関わらず、初めから最後までスラスラっと読めてしまうのだ。

この理由は、出口氏が本著の「おわりに」書いたように、

忙しい毎日をおくっているビジネスパーソンの皆さんに、少しでも哲学や宗教について興味を持ってほしいと考えて、枝葉を切り捨てて(勘違いして幹を切り捨てているかもしれませんが)できるだけシンプルにわかりやすく書いたつもりです。

ということでして、『哲学と宗教全史』が持つ機能はまさしく、水先案内人としての役割なのだろう。

ベルは鳴らすまではベルではない。
歌は歌うまでは歌ではない。
そして心のなかの愛は、そこにとどめておくためにあるのではない。
愛は与えてこそ、愛となるのだ。― オスカー・ハマースタイン

この言葉を借りるなら、知識は与えてこそ、知識となることだ。そういう気概が、本書の淡白な筆致の行間から滲み出て溺れなるそうになること間違いない(このような作者の思想や心境がつづられた書籍を読むたびに、僕の中で「自分も書きたい」という思いが膨らんできたのできてしまっているのはここだけの話)。

強力な説得力を持つ自然科学を前に、いまさら哲学と宗教を学ぶ意義を知る必要は果たしてあるのだろうか。いや、ある。と断固して首を縦に振るほどの後ろ盾を、本著から得た。鈴懸の木の吐息が明星を立ち上る予感と共に手に取り、魔性に取り憑かれたかのようにページをめくる。そして、糸の切れた人形のようにパタリと本を閉じたとき、舞台の書き割りのように見えていた現世が色めき、思考の淀みが晴れたのだ。すごい、ただすごい。

Standing on the shoulder of giants.

その言葉の意味が、本書を読み終えた今だからこそわかったかのような心持ち。本書を皮切りに、『世界の名著』中央公論社、『岩波講座 哲学』岩波書店、等からより深い知識を得たいと思う。本書と出会えたことに感謝。