2+2=5の世界をなしとげるか、それとも、おしつぶされるか - 書評 - 一九八四年新訳版

真実とは、陽炎のようなもの。

数学的に考えて、2+2=5が正しくないことは紛れもない事実だ。2+2の答えはどうあがいても4であって、それ以上でもそれ以下でもない。しかしながら、2+2=5でもあり、2+3=80というプロパガンダが好みそうな非論理的な言説もまた真となる場合がある。それは、数字と演算子のあいだに目に見えないプラスαの要素が組み込まれ、2+2=4という現実が淘汰されるケースだ。

あるときは2+2=5であり、またあるときは6であり、そして7でもありといった現実では、その真偽に対する意味合いは消失する。ただ一つ個人に要請されるのは、組織への忌憚ない忠誠と、その忠実な志向性だ。

そう、本作は、2+2=5が求められる現実で、2+2=4と答えた、また、考えて現実を侵してしまった異端者を、問答無用で抹消し、改造し、まっさらにしたあと、2+2=5と染め上げるという、とんでも監視社会の、とんでも全体主義国家を描く、えげつない一冊だ。

以下あらすじ。

〈ビッグ・ブラザー〉率いる党が支配する超全体主義的近未来。ウィンストン・スミスは、真理省記録局で歴史の改竄に従事していた。彼は奔放な美女ジュリアとの出会いを契機に、伝説的な裏切り者による反政府地下活動に惹かれるようになる。

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本作の特筆すべきは、異端を抹殺するだけにとどまっていないところにある。

中世には異端審問というかたちで、異端を撲滅しようとした。ただ、異端者を火あぶりにするたびに、他の何千人もの人間が蜂起した。というのも、懺悔しないうちに処刑したことで、殉教者としての栄光を与えてしまったからだ。

これを踏まえた上で、ナチス・ドイツは犠牲者の尊厳を打ち下し、殉教者を出さないよう異端審問官以上に残酷な迫害を加えた。拷問を加えて仲間から隔離することで屈服させた。犠牲たちは卑劣漢に成り果て、いわれた通りに、自白し、仲間を告発して責任転嫁した。しかしそれでも、死者は殉教者となった。

殉教者をいかに歴史の流れから取り去るかは、支配と権力闘争にとっての喫緊のテーマである。本書もまた、いかに殉教者をださないようにするかが巧妙に仕組まれている。

なかなかにハードな内容だが、読後感は格別。