永劫に込められた悲しさを知ると、われわれの生きる時間がどうして短くある必要があるのかがわかる。そんな一冊だ。
本書『何かが道をやってくる(原著: Something Wicked This Way Comes) 』は、レイ・ブラッドベリ(1920 - 2012)によって1962年に刊行された長編作品だ。1930年代初頭の十月、イリノイ州グリーン・タウンで暮らす幼馴染のウィルとジムは、真夜中の午前3時、野原にやってきたカーニヴァル列車がテント設営しているところを目撃する。そこに潜んでいる悪魔的な所業に気づいたのはふたりだけ。彼らはカーニヴァルの魔の手から町の人びとを守るために行動を開始する。
印象的な題目は『マクベス』第四幕第一場に出てくる以下の台詞からの引用で、その名の通り、薄気味悪い語感をはらんでいる。
2nd Witch:
By the pricking of my thumbs,
Something wicked this way comes. [Knocking]
Open locks,
Whoever knocks!
[Enter Macbeth]
それとは裏腹に非常に美しい韻を踏んでいるのだが、本書も同様に、リズミカルな韻を随所に垣間見ることができる。ただ、ブラッドベリの特質ともいうべき偏執的なまでの修辞多様が、ひるがえって、本書の筋立てから読み手の視線を乖離させるほどに目立ってしまっているため、気軽に読もうとすると痛い目を見るだろう。かなりの気合を入れて読むべきマッチョな部類の本であるといえる。
1950年から60年代に多くの小説家が探求した領域——意味の探究、精神世界への近接方法への探究、人間の神的なものへの反逆——の一翼を担っている本作は、少年期の悪夢と焦燥を具現化したような趣を思い起こしてくれる。まるで、あの頃の懐かしさと甘い匂いがふと鼻をかすめたような具合で——
本作の重要な要素として、回転木馬(メリーゴーラウンド)が存在する。これは進行方向に応じて時の流れをコントロールすることができる代物だ。逆向きに回れば遡行、その逆では跳躍となる。
カーニヴァルの連中は、この性質を利用して永遠を生き悪事を働いてきた。甘い言葉で人々を魅了し、回転木馬に乗せ、年齢を弄ることで、イマココの時代から消滅させる。本作の登場人物たちもまた、これによって惑わされることになる。
なぜならば、自分という存在は時の流れと不可分であるからだ。自分が自分であることを証明するためには、その時代のその時に応じた形態であることが求められるものであって、それ以外の容貌では証明がむつかしい(コナン君が自分のことを新一だといっても、蘭姉ちゃんはそう簡単に信じてくれないのと一緒)。
彼らはこのデメリットを巧妙に隠す。そして、人々の苦痛と不幸をカーニヴァルの燃料にし続ける。
ウィルとジムは、果たして、カーニヴァルの連中から人々を救えるのか。ぜひ、手に取って確認してみてほしい。